時事問題ではありませんが、気になる話題をひとつ

簡単に事件と割り切れない...
それは30万円で母親の殺害を依頼した稚内事件、そして父親に成績を叱られると思い自宅に放火し母妹を死に至らしめた奈良事件のことです。
双方の共通点は何か?それは加害者少年は「父親を尊敬し憧れていた」ということです。
職業としての父親の職を尊敬し憧れ、いつしか将来の夢となっていった彼ら...
稚内では、「憧れていた父親と離婚した母親を恨み」、奈良では「憧れていた父親に自分を否定されることを拒み」...それぞれ事件の引き金となっていったのでしょう。
もちろん単なる事件事故には過ぎませんが、彼らだけに言えることではなく、全般に一度や二度の失敗で全てを失った否定されたと捉える若者が増えているような気がします。

もちろん私自身も失敗の連続で、ほめられたものではありません。
が、楽しむ術や次へのステップに進む術は身につけたような気がします。
それは自然に身に付いたものでしょうか?
無論、答えはNOです。
両親や祖父母、先輩や後輩、同輩から見聞きする中で、フェイルセイフを身に付けて来たと思っています。
彼ら先達が時には厳しく、時には優しく、自分の体験を語り諭してくれたからこそ、失敗の連続でも慰められ、そして明日への希望を持てたのではないかと考えます。

言い古された言葉ですが、「語ることで慈しむ」ことができるのではないでしょうか?
そして自分の思いが達せられなくても、一度や二度の失敗があっても、敗者復活できるし、するんだと確信の持てる社会でありたいと切に願っています。