2010年9月・・・日本が最も暑い、否 熱い一ヶ月でした

去る9月7日 中国漁船が日本の領海である沖縄県尖閣諸島付近で操業中、日本の海上保安庁の巡視船が発見。停船を勧告するもそれを無視して漁船は逃走。
逃走時に海上保安庁の巡視船に衝突を繰り返し、巡視船2隻を破損。同漁船の船長を公務執行妨害で逮捕したという事件が起きました。
その経緯は報道でも十分なされたのでここでは繰り返しませんが、言えることは「中国の日本への態度が明確に変わった」ことです。
 
確かに1971年以来中国は尖閣諸島の領有権、および東シナ海ガス田・油田の掘削権について主張しておりましたので、目新しい主張ではありませんが、ここに来て日本への強硬さは際立っています。
この事件に対しての中国の強硬な態度を「振りかざした拳を降ろす機会を伺っている。」と評していた政府、そして報道機関の読み違えたるや実に甚だしい。
彼らはもう拳を降ろすつもりはないでしょうね。
 
あらためて中国の領土問題を振り返ると、現在の「自治区」がその象徴です。
北は、内モンゴル自治区。西は、新疆ウィグル自治区、チベット自治区。南は広西チワン族自治区
第二次大戦後、他国に領土戦争を仕掛けて領土としてきたものです。またベトナム(中越戦争)、インド(中印戦争)は現在も継続中といって良いでしょう。
北、西、南と侵略を続けて来た中国が仕掛けたくても仕掛けられなかった国・・・・それが日出づる処(東)に存在する我が日本です。
いや今までも十分領土問題での小競り合いはあったよ、と仰せかも知れませんが、それでも彼らにとっては「遠慮」があったのです。
その理由は単純です。「日本のバックには米国がいたから」です。
 
ところが米国の方針はここ数年で見事に変わりました。
・口で言うほどには米国(米軍)は極東有事に積極的ではない
・米国の経済の軸足が対日から対中へとシフトした
ことを中国が見据えて、(大胆というよりは)一歩踏み込んだ対日施策を取る!と決断したのがこの2010年9月の尖閣諸島事件だと思います。実は歴史的な事件だと思っています。
 
実は日本では報道がなされませんが、同盟国ロシアとも同様の事件が起きており、それに対してはロシアは「砲火のうえ撃沈」という強硬手段で臨んでいます。
もちろん互いにその後の展開を計算した上での話でしょうが、それが彼らのやり方なんですよね。

  • ロシア沿岸警備隊が停戦警告を無視した中国のタンカーを500発の銃弾を撃ち込んで撃沈

   http://www.youtube.com/watch?v=7vPiq_4O6Y8
 
日本にとっては、それだけでは済みません。
同月26日 ロシア・メドベージェフ大統領訪中(胡錦濤国家主席と会談)
同月28日 北朝鮮・朝鮮労働党代表者会で事実上の世襲が確定(金ジョンウンが後継へ)
これらの結末はすべてこの9月に用意されたと感じています。
特に北朝鮮の後継者問題はぎりぎりまで中国が世襲に難色を示した為、代表者会が延期されていたものと思っています。もちろん、お膳立てはメドベージェフ・胡錦濤会談で成されたのでしょうけれど。
挙句にメドベージェフの北方領土訪問など日本への揺さぶりも忘れませんでしたね。彼らは交渉とは何かをよおく判っています。
 
これらのことは軍事的には 2001年の9・11事件に起因していると考えています。
なにせ9・11は、米国が南北戦争後に初めて味わう「本土決戦」でしたので、米国は方針を本土防衛に転換せざるを得なくなりましたからね。
それにしても尖閣問題での官邸(特に仙石官房長官)の迷走振りは酷かった。
彼らは歴史認識も現状分析も出来ない「ただの政治屋」のようですね。ならばマトモな政治屋募集しなくてはなりませんね(自虐