JAL123 便墜落事故−真相を追う−

私は以前から御巣鷹山へ墜落したJAL123便の事故は”事件”であり、米軍と自衛隊の合同演習に起因しているとの説に意を同じくしております。

が、意外にその内容を知る方は少なく、あらためてこの問題を投げかけたいと思います。
(本日、某所で話題になったことが、その契機となっております)

JAL123便を救助に向かった米軍アントヌッチ中尉の証言が「Stars and Stripes」に掲載されたのは1995年ですが、その記事はもはや削除され、直接目にすることは叶いませんが、幸いにしてその全文を和訳して保存されている方がいらっしゃいますので、そのURLをご紹介したいと思います。
是非ともご覧いただきたい。
 
ケータイなどで直接ご覧頂けない方の為に今までの経緯を要約しますと、

  1. ”事件”当日、相模湾で日米合同演習が行われていた
  2. JAL123便は、海上で演習をしていた米軍の追撃ミサイルに誤射され、垂直尾翼が破損、と推測される。
  3. 御巣鷹山へ墜落後、真っ先に米軍ヘリが駆けつける(アントヌッチ中尉搭乗)が、厚木基地へ引き返す
  4. 警察・消防は延べ2日間墜落現場を把握出来なかった(米軍は捕捉していたのに)

上記を踏まえた上で、アントヌッチ中尉の証言を一部抜粋いたします。
「翌日のニュースや新聞を見て、われわれは愕然とした。ニュースは、日本の捜索隊が墜落地点を発見するのが、いかに困難をきわめたかを伝える報道で溢れていた。事実、まだ事故機残骸に到着していなかった。私はすぐに地図のところへ行って昨日の航跡を確認した。私には正確な位置を示した、という自信があった。私は海兵隊のヘリコプターに墜落地点までの飛行を無線で誘導したのだし、日本の救難機が墜落現場上空に到着して旋回しているのを確認した後に、帰還したのだから。あの事故機発見がそれほど困難をきわめるような問題が日本側にあったのだろうか?」
 
では、アントヌッチ中尉の証言をこちらでご確認ください。

・・・・・・合掌